Tさんの話

Tさんの話をしよう。

Tさんは背の低いおじいちゃんで、うちから車で45分ほどの山の中に住んでいた。いろいろと事情があって私は数年の間、ちょくちょくTさんの家に通っていた。生存確認兼おしゃべりというところか。

 

Tさんの庭には夏になるとオレンジ色の鮮やかな花を咲かせるつる植物があった。その花を眺めながら私たちは縁側で2時間くらい毎度おしゃべりをした。

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ノウゼンカズラというらしい。

 

今日車を走らせているとその同じ花が目に飛び込んできた。Tさんの庭にもこいつが一杯咲いていたなあ、ということでもう5年以上前の記憶が戻ってきたので記す。

 

Tさんは昭和一桁生まれで、変人だった。山の中に自分で建てた平屋の家に住んでおり、その家は18歳の時に自力で建てたという木造家屋だった。周りの山から木を切りだして製材し、組みあげていったという。

「ほれ、柱の角が丸いじゃろう」

そういわれて縁側の柱を見ると確かに角が丸い。太さを確保するために完全な正方形の柱に製材するのではなく、少し円周を残して落としたのだという。柱は赤っぽい艶消しの塗料で塗られており、それは虫よけになるのだという。

 

Tさんはフグの調理師で、鮮魚の運送業者で、火力発電所の炉のメンテナンス作業者で、土木工事会社の元受けで、変人だった。話は異様に豪快だが本人はいたって繊細だった。毎回、私が遊びに行くとTさんはお茶とお茶菓子を出してくれた。Tさんは目が悪いので私にインスタントコーヒーの粉を入れさせ、お湯をティファールで沸かしてコーヒーを淹れてくれた。お茶菓子は大抵ラングドシャとかルマンドとかの洋菓子だったが、Tさんは決して個包装の菓子を手で破ることはせず、ハサミできっちり封を切って菓子をとりだしていた。

 

Tさんは毎日湯船につかるとき、風呂の栓につながる鎖をにぎりしめて入る。もし入浴中にクラっと来たら速攻で栓を抜くためだという。

「そうすりゃ、もし気絶して湯船に沈んでも、溺死せんからの」

大真面目な顔でTさんはそう言うのだった。

 

Tさんは毎回私にいろいろなノウハウを伝えてくれた。薪で走る自動車の始動方法や、丸太の製材方法や、野焼きをしている途中に自分が火に囲まれた時の対処方法を教えてくれた。グラマンが機銃掃射をしてきたときは道路を走って逃げてもダメで、とにかく道から外れて伏せる以外に方法はないということも教えてくれた。鮮魚を運送中に高速道路の検問で重量オーバーでひっかったときはその場で水を捨てるパフォーマンスをすれば乗り切れること、井戸の水が出てこないときは先端の弁がダメになっていること、自分が初めてUFOを見たときのことなどを教えてくれた。

 

我ながらよく覚えていると思うが、上記の話はそれぞれ10回くらいは聞いたので自然と覚えてしまったともいう。私はお茶菓子と話のお礼に家に手すりをつけたり、地デジへの切り替えの手伝いをしてあげるくらいしかできることがなかった。

 

何回か夏と冬が過ぎ、Tさんはやがて布団からあまり出られなくなり、骨折して老人ホームに入ってしまった。それからしばらくして亡くなられたという連絡がTさんの親族から入った。

 

今でもオレンジ色のノウゼンカズラを見ると、Tさんの家の縁側に腰かけて聞いた話を思い出す。